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神戸地方裁判所 昭和33年(わ)90号 判決

被告人 永井保

昭和七・一・一三生 無職

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中、三〇〇日を右本刑に算入する。

理由

(罪となる事実)

被告人は、ミシン販売会社や商事会社の外交員として働いていたが、昭和三二年九月頃失職し、かつ当時借財がかさんでいた事情もあつて、家族と共に居住していた本籍地の持家を売却し、一時神戸市須磨区大手町一丁目に借家住いをしたが、更に借金の利子に追われ、同年一一月一日から、同区月見山本町一丁目六八番地の二名倉芳埜方八畳の間を借りて内縁の妻浜口とし子と共に移り住んだものの、相変らず働き口が定まらぬままに徒食し、右借家を引き払う際に返却された敷金の残金や、右とし子のアルバイトの日給、母からの仕送りなどで一時をしのいでいたところ、

第一、生活費やとし子の手術料に窮したため、同月一一日頃から右名倉芳埜が神奈川県藤沢市の長男の元に出かけて不在となつたのを奇貨として、同月二一日頃から同年一二月二七日頃までの間、前後一〇回にわたり、右名倉芳埜方六畳の間において、別紙一覧表記載のとおり、同女所有にかかる衣類等合計一一五点を窃取し、

第二、右窃取した衣類等は、いずれも被告人が右犯行の日時頃、入質処分したが、右名倉茂埜の帰宅する日が近づいたので、その処置に窮していたところ、翌三三年一月五日昼過ぎ、右名倉芳埜の娘夫婦が前記名倉方六畳の間を掃除にきた際、右芳埜が翌六日帰宅することを聞き、同女が帰宅すれば右窃盗の事実が発覚するのは明らかであると考えたものの、右賍品を質受する金策のあてもなく、自己の犯跡を糊塗する方法を考えながら同日午後一一時半頃、前記とし子と共に外出先から帰宅したが、日時は切迫しているし、このうえは右名倉方に放火して窃盗の犯跡を陰蔽するほかはないと決意し、右とし子が近所の銭湯に出かけた間に、ありあわせた新聞紙数枚を取つて、自分らの居室八畳の間南側の廊下と名倉芳埜の居室六畳の間南側の廊下とを東西に区分するベニヤ板の仕切りに接して置かれてあつた下駄箱の上にあがり、右の新聞紙をまるめてこれにマツチで点火し、名倉芳埜の居室への侵入口である右ベニヤ板の仕切りと天井との間の空間から、これを右居室の南側廊下へ投げこみ、右名倉方家屋に燃え移らせ、よつて、名倉芳埜、関谷昌三夫婦及び永井平治夫婦らの住居に使用する建造物を焼燬したものである。

(証拠の標目)(略)

なお、弁護人は、判示第二の放火の事実に関する被告人の自白のうち、放火の方法及び本件火災の燃焼速度の点につき疑義がある旨申し立て、かつ被告人は、第一回公判以来、検察官及び司法警察員に対する判示第二の事実に関する自白の部分は、取調の警察官から「否認したら保釈がきかない」といわれたのと寒い房に留置されたために虚偽の陳述をしたものであると述べているので、その点につき当裁判所の判断を説明する。

先ず、被告人の各自白の任意性については、前記証拠の標目の欄掲記の被告人の各供述調書、被告人の司法警察員に対する昭和三三年一月六日付供述調書(検甲73号)、第七回公判調書中、証人福永一義、同斉藤栄治郎の各供述記載、被告人及び証人福永一義の当公廷における各供述を総合すれば、被告人は昭和三三年一月六日、本件放火事件につき参考人として取調を受けたが、まもなく賍物の処分先から本件の窃盗事件が発覚し、同月八日からは窃盗事件被疑者として取調を受けるようになり、同時に本件放火事件容疑者としても取調を受け、放火の点については、初めは否認していたが、同月一〇日に右放火の事実を自白するに至つたこと、同日付の被告人の供述調書(検甲74号)は、司法警察員巡査部長福永一義が、須磨警察署において、司法巡査斉藤栄治郎立会のもとに録取したものであること、右供述録取の際に、右各取調官から放火の手段、方法等について、被告人に指示したり、暗示を与えたりしたことはなく、右調書は被告人が自ら「今から本当のことを言うから調書をとつてくれ」と要求して任意に供述したものを録取したものであることが認められる。保釈の点についても、前掲の各証拠によれば、福永巡査部長は右一〇日の取調に際し、被告人が保釈のことを気にして、保釈がきくだろうかと質問したのに対し、「否認であつたら保釈はきかんであろうな。」といつたことは認められるのであるが、右の言辞は、被告人の自白することを条件に身柄の釈放を約束し、或いは被告人に脅迫を加える趣旨のものとは解されない。又被告人が留置されていた場所は、須磨警察署の代用監獄であつて、同監獄の房の窓は金網が張つてあるのみで、当時廊下を隔てて外壁の窓から、風が吹き込む状態にあつたと思料される点もあり、冬季のこと故、寒さの厳しかつたことは察するに難くはないけれども、それは各房共通の事情であり、取調の警察官において、被告人に自白を強要するため、ことさら特に寒さの厳しい房に留置したものとは認められない。したがつて、保釈に関して右のような言葉が交わされたことや、単に留置場の寒さが厳しかつたということをもつて、直ちに右自白の任意性に疑を生ぜしめるものということはできない。のみならず、その後、同月一四日及び同月一七日に同じく須磨警察署において、同年二月三日には神戸地方検察庁において、いずれも本件放火の犯行について、任意に詳細な供述をしていることを認めることができるのであるから、被告人の右の弁解は理由がない。

次いで、被告人の各自白の信用性について検討すると、被告人の前掲各自供述調書中、本件放火の犯行に関する部分は、その細部において若干の喰違(前記一月一〇日付供述調書においては、新聞紙に火をつけ、その新聞紙を持つて下駄箱の上にあがつた旨記載されているが、司法警察員に対する同月一四日付、及び検察官に対する二月三日付各供述調書によれば、下駄箱の上にあがり、その上にあつた新聞紙を丸め、下駄箱の上にしやがんだままマツチを擦つて火をつけた旨記載されている。)があるが、放火の方法として一貫して述べられているところの要旨は、被告人は当時午後十一時半頃帰宅してから、窃盗の犯跡陰蔽のために本件放火を決意し、とし子が先に銭湯に出かけた後、廊下の下駄箱の上にあつた新聞紙を丸めてマツチで点火し、右下駄箱の上からベニヤ板越しに、六畳の間の南側廊下に投げ入れ、直ちに、とし子の後を追つて銭湯に行つた、というのである。ところで、弁護人は、被告人の右自白に対する疑義の第一点として、右のような被告人自供の方法によつては、本件火災発生の可能性がないというのであるが、前記証拠の標目記載の各証拠を総合すれば、当時名倉芳埜の居室六畳の間の南側廊下には仕切のベニヤ板に接して半ダンスが置いてあり、居間と廊下との間には障子四枚がはめられており、その上はしきいを隔てて障子張の欄間があり、又右廊下の庭に面した側にはガラス戸の内側に木綿のカーテンが垂れ下つており、右廊下の幅は一メートル弱であつたこと、本件火災のあつた一月五日昼過ぎ、本根夫婦が掃除を終えて帰る際、座ぶとん三、四枚を右廊下に並べて乾して帰つたこと、当夜は天候は曇であるが、湿度は六〇パーセントで比較的乾燥状態であつたことを認めることができるから、右障子が下から一尺程は板張で、更に縦一尺程のガラス窓があつたことや、右カーテンと廊下の床面との間に三寸から五寸程の空間があつたことを考慮にいれても、前記の被告人の自白している方法で、本件火災発生の可能性がないとはいえない。のみならず、右自白による放火の方法は、本件火災の出火場所が八畳の間の廊下と六畳の間の廊下の境から西へ半間くらいの区画内と認められることともよくふん合するのである。

又、弁護人は、被告人の自供による時間に、右自白どおりの方法によつて放火されたとすると、本件家屋の燃焼速度が早過ぎて説明がつかない旨申し立てるのであるが、被告人の当公廷における供述、第三回及び第一一回各公判調書中、証人浜口とし子の供述記載部分並びに証人金井泉治の証言を総合すれば、被告人は同夜午後一一時過、内縁の妻とし子と共に被告人の母の家を出て、山陽電鉄東須磨駅午後一一時一六分発の下り電車に乗り、次の月見山駅(所要時間一分三〇秒)で下車し、徒歩で、同駅から約一五〇メートル離れた名倉方に帰宅していることが認められる。そして、第二回公判調書中証人永井平治の供述として「被告人はとし子と共に帰宅したが、帰宅後間もなく、まず、とし子が風呂屋へ行き、二、三分後に被告人が風呂屋へ行つてから、七、八分ぢやなかつたかと思うが、家内の道恵が『おかしな音がする』という。パチパチという音がする。自分らの家の屋根がトタン葺であるから雪かあられかと思つていたが、またパチパチという音がする。家内が『見てきてくれ』と言つたが、寒いから『雨かあられでも降つているんだろう』と言つたが、また音がするので、八畳の間の障子を開けてみると、八畳の間と六畳の間との境の欄間が赤くなつて火が写つていたので、火事だと直感し、関谷夫婦を起し、風呂屋へ知らせに走つた。なお、下駄箱の上に新聞紙が一枚か二枚置いてあつた」という記載及び第一二回公判調書中にも同証人の同趣旨の供述記載があり、又、第二回公判調書中証人永井道恵の供述として、「とし子が出ていつてから、二、三分たつて保が出ていつたと思う。出ていつて二、三分たつかたたないうちに、パチパチと音がした。雨か雪かと思つていたところ、また、二、三分たつかたたないうちにパチパチという音がした。あまり変だから、主人に『見てきて』といつた。私も見に行こうと部屋から廊下に出たら、火事だと主人が言つた。」という記載があり、第一二回公判調書中にも、同証人の同趣旨の供述記載のほか、「パチパチという音が聞えたのは、保らが出ていつてから五分たつかたたないぐらいで、主人が見にいつたのは、それから二、三分後である」という記載がある。更に神戸市須磨消防署の「火災原因及び損害報告書」と題する記録によれば、本件火災を須磨消防署望火台で発見し、それを覚知したのが同日午後一一時五〇分であることが明らかである。右のような事実並びに証拠に、前記認定のような当夜の名倉方六畳の間、及び南側廊下の情況、第八回及び第一一回公判調書中の証人笠井操の供述記載を併せ、彼此考察すれば、結局その燃焼速度も経験則に反する程異常なものであつたとは認められない。したがつて、名倉方家屋の燃焼速度がかなり早かつたことは首肯できるけれども、そのことが、ひいては被告人の放火に関する各自白の信用性を左右するものとは考えられない。その他、右自白の信用性について疑義をさしはさむに足る根拠はない。そして、被告人の自供調書を除くその余の証拠によつても、出火の日名倉芳埜の居住する六畳の間に入つたのは、芳埜の帰宅を迎えるため部屋のそうぢに来た同女の娘本根伊都子とその夫一衛及び子供二人であるが、同人らが居たのは昼頃の約一時間の間であり、伊都子はふきそうぢのため台所のガスを用いたほか、火気を使用したことはなく、一衛は、庭先で子供を遊ばしながら喫煙したけれども、屋内においては喫煙しなかつたこと、同人らは名倉方を出る時、廊下、台所の勝手口、玄関及び門に戸締りをして外部から入れないようにしておいたこと、被告人が帰宅し銭湯に行つてから間もなく、突然に出火したこと、出火の際、隣人たちは戸締りのため同家に入ることができないので、戸を破壊して入つたことが認められ、これに前記のような出火の状況、出火時刻の関係等を併せ考えると、本件火災の原因は放火以外には考えられず、かつ外部からの放火犯人が侵入したことを想定する余地はない。そして内部から放火し得る人物のうち、被告人にのみ、本件放火についての重要な動機があることが認められる。

かような情況証拠と被告人の自白とを総合すると、本件放火は被告人によつてなされたものであることを認定するのに十分である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の各窃盗の行為は、いずれも刑法第二三五条に、同第二の放火の行為は、同法第一〇八条に、それぞれ該当するところ、現住建造物放火の罪については有期懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により、最も重い右現住建造物放火の罪の刑に、同法第一四条の制限に従つて併合罪の加重をし、被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二一条により、主文第二項のとおり、未決勾留日数の一部を右本刑に算入し、訴訟費用については、被告人が貧困のため納付することのできないことが明らかであるから、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して、被告人に負担させないこととする。

(裁判官 山崎薫 田原潔 大石忠生)

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